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母の記憶 [短歌]

  母の昔語りはいつも唐突に始まる。私はそんなときじっと聞くことにしている。否定などしない。むしろ記憶をほどいてあげるように仕向ける。雲仙市南串山町(1945年当時は南高来郡南串山村)にかつて特攻舟艇の秘密訓練基地があったようだ。敗戦の玉音放送があった数日後、そこの下士官と思われる(将校かもしれないが)人物から(日本が)負けるわけがないと(玉音放送の是非を尋ねたところ)即座に否定したという。母らはその放送を聞いていなかったらしいが、噂として流布していたようだ。現在から思えばすべての日本人が聞いたのだろうと信じていたのだが・・。当時の混乱と情報秘匿の実態を垣間見る思いで耳を傾けた。秘匿基地のことは以前から断片的に聞いていたが、『玉音放送を聞かなかった』とは初耳であった。そのとき、昭和天皇はまだ現人神であったはず・・。そう叩き込まれて(今にすれば洗脳されて)育った人間にとっては まさに青天の霹靂・・信じることのできない事件であったのも肯ける。皇居(当時は宮城と云った)前の広場で泣き崩れる人々のあのフィルムは誰が意図して撮影したのだろう。これも今から思えば不思議ではある。誰しもやむなくそのこと・・(現人神の声を聴いたことのない人々のはずなのに)敗戦(終戦という言葉に置き換えていたが・・)ということを事実として受け入れたのだろうと思っていた。意図された謀略、デマ、流言として受け止めても不思議ではないのではないだろうか?



      まだ神でありし言葉を聞かざりと母の語れる七十四年


     疑ひを持てば誰にも非国民呼ばはりされし時代望まず


     特攻の舟艇基地の下士官の敗戦否定 母のなづきに



  母の記憶にしまわれてきた歴史の断片を手掛かりに、現代のこの情報過多社会に生きるものとして なにか相通じることはないかということを考えている。・・洗脳されてはいないか・・・と。

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