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転載 10. [川柳について]

 短歌の対極にあるのが川柳だと考えています。乾愁を装いつつ深淵の底には人間の喜怒哀楽の澱のような熱水の噴出口をひそかに持っていると思っています。手前みそで申し訳ありませんが、番傘の岸本水府をご存じでしょうか?平易な表現を心がけていかないと川柳も死んでしまいます。サラリーマン川柳やボヤキ川柳が現代川柳と思われるのは心外です。水府は仕事としてキャッチコピーを生業にしていました。川柳作品は彼の本音なのです。戦時中の反骨の川柳家 鶴彬(獄死)を素晴らしいと思うとともに水府とは状況が違うと思います。川柳はアジテーションの道具ではない。現代の状況が戦前に通じるというなら、鶴のような句をつくらないといけないと思います。単なる日常の延長のような散文句に安住しているのが大方ではないでしょうか。素人だからそれでいいとは思いません。瞬発的な時事詠では、時間経過とともに文脈を喪失し、花火同然なのです。やはり作家としての矜持と研鑽は必要条件だと思います。単に短歌が高尚で川柳が低劣でありましょうか? ベクトルが違うだけで抒情性をも守備範囲に入れているのが現代川柳です。3年ほど前、短歌同人誌「かばん」に入っていましたが、彼らの創る川柳には感情の「ゆらぎ」が乏しくて違和を覚えていました。あれは彼らの短歌的発想の反映なのじゃないのか・・・と、今は捉えています。川柳は取り澄ました客観的叙景ではどんな選者も抜かないでしょう。私小説風な俳句的発想と看做すからです。番傘系川柳に軸足を置いて短歌・俳句を作るのは、吐き出す内容物によって形式を選択しているからにほかありません。これからも川柳から短歌・俳句を照射してゆこうと考えています。

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