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立冬を過ぎて [俳句]

   兎抱く心われらに無かりしや
   昏れ泥む浜百千の白兎かな
   点心を腹にをさめて日なたぼこ
   凍星や点滴終えて帰り道
   銀傘や冬青空の岸に映え
   ゆるゆると日を集めけり冬紅葉
   立冬や角煮ほほばる街のかど
   冬立つや肉まんふたつひとつづつ
   小六月おもひでの地へひとり来て
   

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ふっと息を抜いただけなのに [川柳]

 おおよそ3か月も空隙のままに過ごしてしまいました。再開の一発目は川柳です。「桜を見る会」なんて・・・今まで問題にもならなかったのに問題になってしまうのは、安倍首相の人徳(?)の故であろうか?


  過充電昼のあくびが止まらない

  排水門開けて干潟が戻るのか

  再生の手を拱いて意地を張る

  分断をするのはいつも我の論理

  国交が無くていいとは言いかねる

  支援者の顔はサクラの顔である

   鼻高々と贅をふるまう安倍夫妻

  特権のひとつ花見に税使う

  桜見る会ツアー旅行のワンショット


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持ち時間(20句連作) [川柳]

 県文芸の応募作です。投稿してずいぶんになるし、締め切りからも20日以上経つので、こちらに掲げてもいいかと思いまして・・・「余生」などとはとてもではありませんが、云える齢と思っていませんので「持ち時間」としました。



     巻きついた枷をほどいて荷を下ろす


     歯車を切り換えながら歩きだす


     カタルシス覚めた目で見る半世紀


     ももしかも百歳という持ち時間

     

     一切は途上そのもの春返る


     はみだしてゆくDNAに導かれ


     螺旋階段目の前で消えてゆく


     持ち時間何を拾うか面白い


     羅針盤狂いだしても楽天家


     平等に万人の手に今がある


     若さとは今を感じる心持ち


     しなやかに惑う心が融けてゆく


     身に残る棘を抜いては捨ててゆく


     今はまだ旅の白衣に用はない


     ゆきずりの恋わが持ち時間待ったなし


     古希にまだ手が届かない深呼吸


     後期高齢まだ見ぬ世界待っている


     みな違う老いという名の風まかせ


     持ち時間フル活用のピンコロリ


     生臭い海泳いでる泳いでる



 実感は実感なのだけれども、恐らくこれは撥ねられるに違いありません。自由題とはいえ、テーマが大きすぎたのかもしれません。もっと練るべきだったかな?・・と今にして思います。

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立秋以後 [俳句]

 梅雨が果てて 炎天がすさまじかったのに、暦は秋を告げる。今日なんかようやっと その気配が寄ってきたのだが。しばらくブログから遠ざかっていたので、晩夏の気分を思い起こしたくてノートを読み返してみた。


     真夜更けて麦茶すすれば はずく啼く


     一服のマッチ擦るとき火蛾の舞ふ


     雨白く夏の色消す夕まぐれ



 二句目は19日付の長崎新聞の俳壇に採用されました、運よく・・。小さな白っぽい蛾でしたけど、火に飛びこむ蛾のイメージに変えてみました。立秋のあとの句を並べます。残暑と云うよりも真夏の気分が強かったので季語は夏のものです。



    昼寝覚 波の音聞く岩の陰


    輪郭の際だつ雲や草田男忌


    熱帯夜 猫の寝息と星明り



 ※草田男忌・・中村草田男の忌日 1983-8-5 人間探求派の一人と称され、芸と文学の融合を提唱。



     秋暑し岩肌ぬれて蝶憩ふ


     ひぐらしを聞いて南無なむ経を読む


     濃緑(こみどり)の闇に分け入る初嵐


       


     秋の雨ほつとひと息街の昼     


     ひぐらしの止むとき波の音しづか


     脛なでる見えない風と虫の声





      

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長崎忌~母の記憶をわがものに [短歌]

 あれから74年という時間が過ぎたわけだ・・。母の作話かもしれないが、真実めいて響くものがあるのは確かなのだ。今は南島原市となっているのだが、なぜそこにいたのかは語らずも 加津佐町津波見(つばみ)のあたりをバスに乗って通っていたとき、11:02。中心が赤い火球を海を隔てて長崎方向に見たという。同乗の将校(?)がすぐにバスを止めさせ乗客(二人だけだったという記憶)を下ろし、防空壕に入れ!と命じられながらも もう満員だとおもい、その火球を見ていたという。それから翌日、夢に(原爆の直撃で亡くなった)父(私にとっては永遠に会えない祖父なのだが・・)が『熱か! 熱か!・・』と口走りながら 空を飛んでくる・・長崎からまっすぐに・・白いシャツのようなものを着て・・という断片をいまだに忘れられないと話してくれた。母(私には祖母)に話したらしいが、どんな返事だったかは覚えていないらしい。そのときにはもちろん原爆のことなど知らなかったわけだが、母たちは長崎に向かったと思われる。母たちの被爆は「入市被爆」だと、私は考えている。そうでないと、母を含めて家族が被爆認定を受けていることと整合性が成り立たないからだ。それとも、母の記憶の混乱だろうか‥?祖父についてのエピソードは数えるくらいしか知らないが、本当に懐かしそうに語る母をとおして血脈の不思議を思っている。母の言葉をなぞって定型に仕立ててみた。



     

   飛んでくるアツかアツかとしかめっ面 白いシャツ着て家族のもとへ

 

   結局はなにがなんだかわからない赤い火の玉じっと見ていた

 

 

   それぞれの昔と今が重なってとぎれとぎれに息止まりそう

 

 

 

 

  

      

     


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世界が一つではないことの実感(推敲後編) [雑感]

 

  俵万智さんの短歌を読みたかったらしくて、でも名前を思いだせなくて『苗字が一字、女性、「ちょっと変わった短歌」・・』というリクエストのメモを母からもらって図書館へ・・。短歌の歌集の蔵書が少ないうえに、上の条件に見合う人が特定できなくて、俵さんを含む四人の歌集を借り出した。たしかに素人、学生時代に習ったのは古代の和歌ぐらいだから近代短歌、現代短歌のどれも(母にとっては)新鮮ではあろう。テレビで紹介していたから読んでみたくなったそうだが、少し意外な気がせんでもなかった。「ちょっと変わった短歌」というのは口語短歌のことらしい。私の短歌などは理屈めいてわからんという。まして以下に記すような・・こんなものは五七五七七ではあっても、 おそらく生理的に受けつけないだろう。男の生理的描写なんて・・。


     精液は尽きてしまへど勃ちきたる煩悩の火を持て余す日々


    遣る瀬なく熱きシヤワー‐を浴びながら息子の頭撫づる虚しさ


    まだ明けず寝乱るるままロングピース咥えながらもまどろみてをり


    揺れ動く私の中のうたかたのどれも虚構でどれも真実

    

    立ち眩む穴をめがけて放てども放物線のやうにはゆかぬ


  少し風景の中に身を置いての・・こんなのも作るのだが…これは口語短歌)


     街路樹を伐る汗よりも青臭い幹の命にふと歩みよる


    川端の石に張りつく『ふじつぼ』の行列長く塩匂い立つ


    『かなかな』の飛び去るまでの昼の闇 路地の片蔭猫の眼半ば


  表通りの喧騒が嘘のようなひと気の絶えた路地、たとえば原色が溶け出したような服の人に出会っても・・なんか場違いな思いにとらわれて、なら・・いっそモノトーンの方がこの場には好ましいと今どきの私は思う。

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いまはもう再生の縁など望むべくもない [短歌生活]

 決められた時間に従って、ただやるべき業務としての応対しかできない荒んで疲れた看護者の日常。癒されることなどあろうはずもない病棟生活、いいえ家庭でも実相は変わらないだろう。いたるところに口を開けている断絶を少しでも埋めたい。  



  ゆりかへす波のまにまに羊水の記憶に還る老いのこころね


  たかだかの人生なれど代へるべき何があらうか逝くときの夢


  閉め切つてゐる窓届かざる思ひ 急かす若きのことば虚しき


  降りそそぐ光あれどもわが胸の炉心冷めゆき息絶え絶えに


  流されて遅き目覚めに蝉の声 熱きシヤワーに汗の噴き出づ


  空憶の霧にあなたの白き肌 家族写真の中に居ぬ人




 たとえ信仰を持っているとしても、いざ「老い」を意識しだすと「死」をも考えてしまう。実のところ、死ぬということがどういうことかわかっていないから、無神論もしくは不可知観に傾くときがある。幕末、僧月照が入水するときの詩に「再生の縁を願う」というようなフレーズがある。21世紀になっても、死を一般化できてはいないだろう。たしかに「生物としての死」は、観念として認識はできるが、「私」に引き寄せて考えるとき納得できないでいる。それでも安心を求めてしまうのは、この世に執着があるからだろう。それは一見生きるためと思えるが、むしろ安心して死ねるための準備なのだと思う。

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今そこにある危機 [雑感]


    ☆加熱する韓国世相~責任は文・ジェイインの心と政治路線にあると思う


  フェイスブック (私の投稿より・・)


 日本に打撃・・?・・・ではなく、米国の世界戦略、安全保障に打撃を与えるということが全く理解できていないのではないだろうか? 別の言い方をすれば、中国、ロシア、北朝鮮が大喜びをし、ブーメランとなって自国と自国の民の安全を脅かすことになるということを・・。まさに「そこにある危機」を一顧だにしていない自己保身(大統領の椅子=権力の頂点にしがみついていたい)とポピュリズムの権化と見える。前任者を否定しながらもポピュリズムに人生を賭けざるを得ない隣国の政治状況に憐れみを覚える。今の日本は侵略こそしないが、それこそ愛する者達のために戦うだろうし、自衛隊だけに責任をかぶせるわけにはいかないことはみんなが知っているだろう。だが韓国人は日本に逃げてくるのではないだろうか?在日の同胞を頼ることだけでなく・・。今の日本は敗戦直後のような無防備な状況にはない・・。ここに難民として受け入れる土壌はない。まず、対馬の韓国人たちを即刻退去させる方がよいと思う。単純に善良とはいいがたいからである。なんとなれば自国の庶民から収奪し金銭亡者になっているから・・。決して思えないのが・・「対馬のコミュニティに溶け込みそれぞれの良いところを融合させよう」という未来志向を持っているのだろうか?というところである。

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母の記憶 [短歌]

  母の昔語りはいつも唐突に始まる。私はそんなときじっと聞くことにしている。否定などしない。むしろ記憶をほどいてあげるように仕向ける。雲仙市南串山町(1945年当時は南高来郡南串山村)にかつて特攻舟艇の秘密訓練基地があったようだ。敗戦の玉音放送があった数日後、そこの下士官と思われる(将校かもしれないが)人物から(日本が)負けるわけがないと(玉音放送の是非を尋ねたところ)即座に否定したという。母らはその放送を聞いていなかったらしいが、噂として流布していたようだ。現在から思えばすべての日本人が聞いたのだろうと信じていたのだが・・。当時の混乱と情報秘匿の実態を垣間見る思いで耳を傾けた。秘匿基地のことは以前から断片的に聞いていたが、『玉音放送を聞かなかった』とは初耳であった。そのとき、昭和天皇はまだ現人神であったはず・・。そう叩き込まれて(今にすれば洗脳されて)育った人間にとっては まさに青天の霹靂・・信じることのできない事件であったのも肯ける。皇居(当時は宮城と云った)前の広場で泣き崩れる人々のあのフィルムは誰が意図して撮影したのだろう。これも今から思えば不思議ではある。誰しもやむなくそのこと・・(現人神の声を聴いたことのない人々のはずなのに)敗戦(終戦という言葉に置き換えていたが・・)ということを事実として受け入れたのだろうと思っていた。意図された謀略、デマ、流言として受け止めても不思議ではないのではないだろうか?



      まだ神でありし言葉を聞かざりと母の語れる七十四年


     疑ひを持てば誰にも非国民呼ばはりされし時代望まず


     特攻の舟艇基地の下士官の敗戦否定 母のなづきに



  母の記憶にしまわれてきた歴史の断片を手掛かりに、現代のこの情報過多社会に生きるものとして なにか相通じることはないかということを考えている。・・洗脳されてはいないか・・・と。

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対馬への韓国からの船便の運休について [雑感]



  このニュースを大いに歓迎したい。友好的である必要は韓国人に限っては不要。対馬の環境悪化を主導してきた要因が低減するのは県民の一人としてとても悦ばしい。


(これに対して反論がありました。その文章は本人の許諾を得ていませんので掲載できません。)


  私の反論を載せます。


 戦争なんて愚の骨頂。戦争に向かっているのではなく、一党独裁を民主主義的手段で貫徹させている現状認識の甘さを問いたいのですよ‥国内的には‥。この問題に関しては多くの日本人はもっと冷ややかでしょう。短期的にはこちら側が優位であることには違いないのだけど、長期的にはどうでしょうか?それはさておき、人種差別の意識なんか毛頭持ち合わせていません。たとえ一部であろうと反日感情むき出しの源泉が「併合」に起因していることは認識しています。それは彼らの優越感情の裏返しとみています。日本人にそういうものはないでしょう?そこが違うのです。在日に友人たちもいますし、だいたいこの国が単一民族だという幻想はナンセンスな神国装置の一部だと思っています。縄文以来この国はすでに多民族社会だと考えています。戦争を肯定するのではなく、戦争をしないーさせない=侵略を受けないために軍備が必要なのです。現時点の東アジアにおいて永世中立を宣言するにしても軍隊は必要です。スイスをご覧なさい。あの国には徴兵制度があり退役しても成人は年間何発・・と射撃訓練が課されています。そこまで 今の日本人に国防の意識がありますか? リベラルの考えを持つ人でも愛国の感情を抑える必要はありません。ごく自然なことですよ。「愛国」という感情は‥。「愛国」が戦争に向かわせるのではありません。いい加減 戦後民主主義幻想の呪縛から自己を解放するときです。私はそう思います。あなた! 対馬での韓国人の行状を知らないっでしょう‥。大変なことになっているのですよ。無法と云ってもいい・・過去の歴史問題があるから日本人は彼らの無法に涙を呑んで甘んじなければいけないのですか? そうは思いません。それは国家対国家のレベルで解決すべき問題であり、解決済みのことです。すべてが徴発ではありませんが、彼の原告の人たちが強制的にそうされたのであれば韓国政府が仲介して補償するべきでしょう。また個人補償を云うなら日本人が朝鮮半島を追われるにあたって放棄させられた財産の補償を現・韓国政府が果たして考えてくれるのでしょうか?非常に疑問です。日本の司法がそういう判断をするでしょうか?しないと思いますよ。政権が代わって、きちんとした経済運営を実現し、まともな外交を志向するようになったら、日本政府も譲歩するでしょう。 国のために国民が血を流すべき∼云々は全くの世迷いごとです。あなたの危惧はわかります。同感します。人は愛する人たちのために立ち向かってきたであろうし、これからもそうだと思います。それと差別ではないのですよ。我慢できない事実はあるのです。 Oさんのおっしゃる「無血」で守るためにも軍事力は必要です。無抵抗或いは外交努力だけで侵略に立ち向かうことは、同胞を見殺しにする羽目になってしまいます。沖縄から米軍が去ってしまえばどうなるでしょう?中国はロシア、北朝鮮あろうことか韓国にも打診して日本の領土、領海を奪おうとしています。北方領土、竹島は還ってこないでしょう。悲観的ですが・・。尖閣、沖縄を虎視眈々と狙っています。私は思いますに沖縄を南方領土にしたくありません。琉球国を併合したのは事実です。そして日本になった。沖縄の人たちを別の民族とは思っていません。むしろ原日本人ともいえるDNAを持っているのではないかと思います。言葉にしても縄文期の言葉が変容してきたのではないかと思います。米軍の削減には賛成ですが、他の国内に移さざるを得ない事態も想定されるのではないかと思っています。  賛同できますが、方法論の違いはいかんともしがたいですね。閣僚の質もまた然りです。政策や人品で選ばれていないのが普通ですから。  今回の参院選では‥自分としては戦略的選択をしたつもりです。あと一歩及びませんでしたがかなりの自民党への批判票はあったと思います。かつての民主党は玉石混交でしたので過ちもあったと思いますが、だいぶと整理されてきたのではと思います。友人の多くはリベラルですが、バランス感覚を以って「」付きの保守でありたいと思っており、感情的な用語を用いず、議論できればいいと思っています。


 別に韓国人全体を憎むわけではありません。一部の心無い人のために、島の生活、景観、所有物、雰囲気が害されているのが現実です。今に始まったことではありませんが・・。観光客が訪れ、その数が膨大であるため観光収入もさぞ多いだろうと思われるかもしれませんが、実際はかなり違います。韓国人ガイドに誘導されて、多くは韓国人が経営する店に連れていかれ、日本でさも流行っている商品のように聞かされるものを買わされているというのです。別に韓国人全体を憎むわけではありません。一部の心無い人のために、島の生活、景観、所有物、雰囲気が害されているのが現実です。今に始まったことではありませんが・・。観光客が訪れ、その数が膨大であるため観光収入もさぞ多いだろうと思われるかもしれませんが、実際はかなり違います。韓国人ガイドに誘導されて、多くは韓国人が経営する店に連れていかれ、(日本で)さも流行っている商品のように聞かされるもの(常識外れに高価で しかも日本人はよく知らないマイナーな商品)を買わされているというのです。ガイドにはバックマージンが入るということで止めようがありません。ことはそれだけではありません、当の旅行者は連れ回された挙句、夕方には、散財させられ疲れ果てているのをよく見かけるそうです。また韓国人同士で集団でけんかはするわ、店にキムチを持ち込んで食べるわ、注意すれば外に持ち出して食べて又舞い戻るという。タバコはどこでも吸って、ポイ捨て~ゴミも同様まったくもってマナーに欠けていること甚だしい。云いだしたらキリがないからここで止めておきます。

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