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いまはもう再生の縁など望むべくもない [短歌生活]

 決められた時間に従って、ただやるべき業務としての応対しかできない荒んで疲れた看護者の日常。癒されることなどあろうはずもない病棟生活、いいえ家庭でも実相は変わらないだろう。いたるところに口を開けている断絶を少しでも埋めたい。  



  ゆりかへす波のまにまに羊水の記憶に還る老いのこころね


  たかだかの人生なれど代へるべき何があらうか逝くときの夢


  閉め切つてゐる窓届かざる思ひ 急かす若きのことば虚しき


  降りそそぐ光あれどもわが胸の炉心冷めゆき息絶え絶えに


  流されて遅き目覚めに蝉の声 熱きシヤワーに汗の噴き出づ


  空憶の霧にあなたの白き肌 家族写真の中に居ぬ人




 たとえ信仰を持っているとしても、いざ「老い」を意識しだすと「死」をも考えてしまう。実のところ、死ぬということがどういうことかわかっていないから、無神論もしくは不可知観に傾くときがある。幕末、僧月照が入水するときの詩に「再生の縁を願う」というようなフレーズがある。21世紀になっても、死を一般化できてはいないだろう。たしかに「生物としての死」は、観念として認識はできるが、「私」に引き寄せて考えるとき納得できないでいる。それでも安心を求めてしまうのは、この世に執着があるからだろう。それは一見生きるためと思えるが、むしろ安心して死ねるための準備なのだと思う。

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