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長崎忌~母の記憶をわがものに [短歌]

 あれから74年という時間が過ぎたわけだ・・。母の作話かもしれないが、真実めいて響くものがあるのは確かなのだ。今は南島原市となっているのだが、なぜそこにいたのかは語らずも 加津佐町津波見(つばみ)のあたりをバスに乗って通っていたとき、11:02。中心が赤い火球を海を隔てて長崎方向に見たという。同乗の将校(?)がすぐにバスを止めさせ乗客(二人だけだったという記憶)を下ろし、防空壕に入れ!と命じられながらも もう満員だとおもい、その火球を見ていたという。それから翌日、夢に(原爆の直撃で亡くなった)父(私にとっては永遠に会えない祖父なのだが・・)が『熱か! 熱か!・・』と口走りながら 空を飛んでくる・・長崎からまっすぐに・・白いシャツのようなものを着て・・という断片をいまだに忘れられないと話してくれた。母(私には祖母)に話したらしいが、どんな返事だったかは覚えていないらしい。そのときにはもちろん原爆のことなど知らなかったわけだが、母たちは長崎に向かったと思われる。母たちの被爆は「入市被爆」だと、私は考えている。そうでないと、母を含めて家族が被爆認定を受けていることと整合性が成り立たないからだ。それとも、母の記憶の混乱だろうか‥?祖父についてのエピソードは数えるくらいしか知らないが、本当に懐かしそうに語る母をとおして血脈の不思議を思っている。母の言葉をなぞって定型に仕立ててみた。



     

   飛んでくるアツかアツかとしかめっ面 白いシャツ着て家族のもとへ

 

   結局はなにがなんだかわからない赤い火の玉じっと見ていた

 

 

   それぞれの昔と今が重なってとぎれとぎれに息止まりそう

 

 

 

 

  

      

     


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