原発輸出 死の商人と同じこと  


 現代連句のさまざまな実情に接していませんので。迂闊なことは申せませんが 座の文芸である以上(たとえ式目があっても運用次第でマンネリは防げると思います)共同創作でしょう。それを文学という規定に填め込むことには無理があるのではないでしょうか? 近世の伝統連句の衰退に鑑みて現代連句人は俳句とは違う世界を志向しているように感じます。現代人ですから近代文学の洗礼を受けているのは間違いないと思いますが(・・句ごとの内在律と云いますか通奏低音として)。ただ一巻の連句作品としてはどうでしょうか? これはこれでいいのではないかと思っております。

 (上の雑感とは関係ありませんが、近作の短歌を・・)


ころころと関西弁に綴られし母性あふれる手記読み返す


葉一枚地に投げ出づる身ひとつの意外に太き音に驚く


ハグロトンボ ナガサキアゲハ過(よぎ)るとき亡きまなざしを幽かに覚ゆ  


 ☆温暖化で海面が上昇するという話、意外に差し迫ったような現実に思います。ただの海進でも怖い話ですが、10メートルから60メートルも上昇したら、太平洋の島国は消滅、ほとんどの国の首都は海底に没することになってしまいます。このスパイラルはもう止められないのでは…とつい悲観的になってしまいます。


(川柳)

陸となす辺野古沈める温暖化


海峡が生臭くなるワイドショー


達観をやめてバラード口ずさむ


死出虫の出番を恃む永田町


(今少し愉しむために恋数句)


昼花火恋を始めてみませんか


手さぐりに下着のひもを締める朝


Gパンの饐えた臭いを思いだす


どこまでも追いかけてくる恋しぐれ


胸の底閉じこめている昼花火


白い闇あなたの顔が見えません


不眠症 浮気の虫が騒ぎだす


(短歌)

移されて30有余秋ゆきぬ金木犀の花見る無かり


屋上に根を張れぬまま立ち枯るる骸佇む墓標となりて


世を占めてやがて消ゆるやジギタリス赤黒の旗巻きつけて逝け


朽ち易きのうぜんかづら地に融けて塩となりゆく生に抗ふ


そは甘露 問へども誰も応へざり 明かとき色に塵ばむわれら


ラベンダー期待の海に枯れゆくや霧億百の白き短(みじか)矢


今さらに前衛短歌の怨霊か干潟の記憶開かれてゆく


傘のうち雨にこぼれてばらの花踏まないやうにひとつてのひら


(俳句)

追憶の避(さ)らぬ別れや雨蛙


梅雨寒や襖を閉(た)てる朝の膳


(短歌)

晴れまた霧 杣の連なり竹は老ゆ飯な忘れそ母の声あり



 ☆目で読むだけの意味・理屈は響かない。耳に聞くとき、じかに心に響く「うた」に出会う。


・われひとり内にもひとり澄むまにま何をせむやと物ぞ思わす


・人の身は塵と水とで捏(こ)ねられる泥人形に魂鎮め


・くたくたにゆらぐ心に思わせる爆ぜるマグマに身を熔かしつつ


・なにせむや何かをせむとひとり身の迷いまろびつ月に這いずる


・開け放つ部屋の中にも山の霧ひとり澄みつつ鉛筆握る  



 ☆意味や理屈を先行させているかに見えがちな現状。かつての文字を持たなかった時代の息吹を心の底に置きたい。むつかしくあるいは険しい言葉を使わなくても、たぎる激情を歌に乗せることはできると思います。しかも叙情性を保ちつつ‥ね。翻訳文化がはびこって幾千年もの流れを断ち切ってしまって現代に至る選歌の罪悪はAIにもできることをただ証明するだけの価値でしかない。「個」という選択ではなく「ひとり」という選択を、目で読むのではなく耳に聞くという選択を歌人は読み手としてとらえ返さないと、われらは物象の中に自らを閉じ込めてしまうことになる…そう強く思う次第です。  規定される概念をはみ出す民衆の意志と感情を紡ぎ出すこと。意識化されないナンセンスのうちに潜む余情を嗅ぎ取る感性を伝えていかないと、日本の短章文芸は死んでしまうでしょう。それは数多くの作品を、底流するマグマに共感しつつ提出するあまたの魂によってしか、成し遂げられないと信じています。人生も世間も無常の風のうちにありますが、変わらないものを見失わずに生き延びたい。令和を超えて…。


夏もなく冬の痛さも届かざり骸なればや悩みとて無き


昼間でも足を濡らしてしまう老い 点眼薬を間違えている